研修会 (1)

★教授者研修会・・8月25日・・講師 村田隆志先生(大阪国際大学准教授)
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【山本竹雲先生の芸術鑑賞のツボ ー「臥遊」と「自娯」-】
の講演の一部。
西川一草亭「篆刻家竹雲の話」 
竹雲は明治初年の篆刻家である。篆刻家としては恐らく明治初年の第一人者で相当に重く見られて居ったらしい。当時の京都には小野湖山、谷鉄臣、頼支峰、山中信夫翁など神山鳳陽などの文人詩客があった。私はそれ等の人が如何に詩文の才に長じ、読書学問に造詣が深かったかを知らぬが、時折、見る筆蹟か何かで想像すると、学者としての価値は別問題として、芸術味に富んでいた点において、これ等凡庸の学者よりも遥かに竹雲の才が光っていた様に思へる。
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●西川一草亭(1878~1938)
 華道去風流七世。実弟、津田青楓を介して夏目漱石と相知り、親しく交流する幸田露伴や浅井忠に花を教え、富岡鉄斎や切西園寺公望と親交を深めるなど、大正~昭和戦前にかけて、京都で華道の第一人者として知られた。
西川一草亭の伝える竹雲先生の逸話
・身なりに構わない自由な人だったが、一面とても几帳面で、自分で料理をすると、葱や水菜は物差しを当てて切っていた。
・竹雲の近所にあった料亭「松清」の女将は、竹雲の人柄を尊敬して様々に世話をした。着物を届けると、新しいのを着て、それまで着ていたものは二階にポンと投げ上げる。二階には足の踏み場もないほどだった。
西川一草亭「篆刻家竹雲の話」
芸術の士には往々にして発狂する人がいる。発狂するほど物事をつき詰めて考える人で無ければその芸術はほんとうは光らない。(中略)普通の人は先ず利害を考えていくら芸術に熱中しても、恋をしても損の行くような事なら大抵にして切り上げて途中から引き返す。引き返さない処に竹雲の豪さがある。
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北画と南画
北画・・北宗画の略。中国の職業画家の系統およびその様式をさす語。唐の李思訓ら以後、宋の郭熙・馬遠らを経て、明の戴進らに至るもの。
南画・・南宗画の略。唐の王維にまる詩・書・画の三絶を目標とする画派の描く作品のこと。水墨表現、山水画に特徴がある。
南画の発展・・中国では漢籍詩文の教養をもった知識人階級「士大夫」が描く作品を「文人画」と呼び、専門画家の技巧的な作品と区別して尊重する傾向があった。
江戸時代にこの風が日本に及んだが、日本には士大夫がいないので「文人画」ではなく、別称の「南宋画」を縮めた「南画」の名で呼ぶようになった。山本竹雲が描いたのは、この南画。
(2)へつづく

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